スタッフブログ
院長コラム|治療行為は“やること”ではない。“治すための選択”である
院長コラム|治療行為は“やること”ではない。“治すための選択”である
—手技・鍼・電気治療・運動療法は何のために存在するのか—**
|市川駅徒歩30秒のわかば鍼灸整骨院市川本院
はじめに
こんにちは。
市川駅徒歩30秒のわかば鍼灸整骨院市川本院 院長の土谷です。
私はこれまで、
手技療法、鍼治療、電気治療、運動療法など、
さまざまな治療行為を臨床で使ってきました。
その中で、治療家として強く確信していることがあります。
「治療行為は“やるため”にあるのではない。治すためにある。」
どんなに高度な手技も、
どんなに難しい鍼も、
どんなに新しい治療機器も、
“治らないなら意味がない”
これが私の治療哲学です。
治療行為は「目的」ではなく「手段」である
臨床でよく見かける誤解があります。
-
鍼を打つことが目的
-
電気を流すことが治療
-
ほぐすこと自体が正解
しかし、これはすべて違います。
治療行為は「症状を改善するための手段」であって、主役ではありません。
主役は常に
「患者さんが、どうすれば治るか」
です。
だから私は、
「今日は何をやるか」ではなく、
「今日は何を改善させるか」 から考えます。
なぜ、治療行為の選択が重要なのか
同じ腰痛でも、
-
組織損傷が原因なのか
-
神経障害が原因なのか
-
痛覚変調が主体なのか
によって、
選ぶべき治療行為はまったく異なります。
●例①:侵害受容性疼痛に対する治療行為
筋・靭帯・関節包などの損傷が原因であれば、
-
組織回復を促す刺激
-
過緊張の抑制
-
炎症を悪化させない介入
が必要です。
この場合、
強すぎる刺激や過度な運動療法は、
治療ではなく“再損傷” になります。
●例②:神経障害性疼痛に対する治療行為
神経が圧迫・障害されている場合、
-
神経滑走を促す
-
圧迫因子を除去する
-
神経周囲の環境を整える
ことが最優先です。
この状態で
「とりあえず筋肉をほぐす」
という行為は、
的外れな治療行為 になります。
●例③:痛覚変調性疼痛に対する治療行為
この場合、
“刺激を入れること” 自体が主目的ではありません。
-
安心感を与える
-
痛みに対する誤った認知を修正する
-
動いても大丈夫だという成功体験を作る
ここでは
治療行為=コミュニケーション
になることすらあります。
治療行為に「万能なもの」は存在しない
私は
「この治療法が最強」
「この手技で全部治る」
という考え方を取りません。
治療行為は“適応”がすべてである。
鍼が適応のときもあれば、
鍼をやらない方が良いときもあります。
電気治療も同じです。
手技療法も同じです。
運動療法も同じです。
適応を外した治療行為は、
どれほど上手でも“無駄”になります。
私が治療行為を選ぶときの基準
私が常に自分に問いかけているのは、次の3つです。
-
この行為は、今の痛みの原因に合っているか?
-
この刺激量は、回復を早めるか?
-
この治療は、再現性があるか?
この3つに「YES」と言えない治療行為は、
私は行いません。
治療行為は“説明できて初めて成立する”
治療行為は、
患者さんに説明できて初めて医療行為になります。
-
なぜこの治療をするのか
-
何を改善させたいのか
-
どのくらいで変化が出るのか
これを説明できない治療は、
ただの作業 です。
私は、
「なんとなく効きそうだからやる」
という治療をしません。
治療家にとって最も危険なのは「慣れ」
経験を積むほど、
-
いつもの流れ
-
いつもの治療
-
いつもの刺激
に陥りやすくなります。
しかしそれは、
患者さん一人ひとりを診ていない ということでもあります。
治療行為は、
毎回オーダーメイドであるべきです。
結論:治療行為は、治すためだけに存在する
私は、治療行為そのものに価値があるとは思っていません。
価値があるのは、
「治った」という結果 だけです。
-
痛みが減った
-
動けるようになった
-
不安がなくなった
-
生活が戻った
そのために、
必要な治療行為を、
必要な量だけ、
必要なタイミングで行う。
それが、
私が考える“治療”です。
患者さんへ
もし、
「なぜこの治療をするのか分からない」
「説明がないまま治療を受けている」
と感じたことがあるなら、
それは本来の医療ではありません。
市川駅徒歩30秒のわかば鍼灸整骨院市川本院では、
すべての治療行為に理由があります。
治療は、
やることではなく、
治すための選択 だからです。















