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院長コラム|評価・検査は“診断のため”ではない。“治すため”にある
院長コラム|評価・検査は“診断のため”ではない。“治すため”にある
—評価のための評価をしない、という私の臨床基準—**
|市川駅徒歩30秒のわかば鍼灸整骨院市川本院
はじめに
こんにちは。
市川駅徒歩30秒のわかば鍼灸整骨院市川本院 院長の土谷です。
今回は、私が臨床で非常に重視している
「評価・検査の考え方」 についてお話しします。
評価や検査というと、
「たくさんやるほど丁寧」
「細かいほど正確」
と思われがちですが、私は少し違う考えを持っています。
「評価・検査は、治すためにだけ存在する。」
評価そのものが目的になった瞬間、
治療は前に進まなくなります。
評価・検査は“ゴール”ではない
医療の現場では、
評価や検査が非常に重要なのは事実です。
しかしそれは、
“評価が正確であること”が目的なのではありません。
正しい評価とは、「次の一手が明確になる評価」である。
-
何を治療すべきか
-
どこに介入すべきか
-
どの治療行為が適切か
これが見えない評価は、
どれだけ精密でも臨床的価値は低くなります。
私が評価で必ず確認する3つのこと
私は評価・検査を行う際、
常に次の3点を自分に問いかけています。
① この評価で「原因」が一つでも絞れるか
評価の役割は、
可能性を無限に広げることではなく、
原因を“削っていくこと” です。
-
筋か、関節か、神経か
-
侵害受容性か、神経障害性か、痛覚変調性か
評価を通して
「これは違う」「これは可能性が低い」
と除外できることに意味があります。
② この評価結果で治療内容が変わるか
私は、
治療内容が変わらない評価は行いません。
もし
「この検査をしてもしなくても治療が同じ」
なのであれば、
その評価は“情報としては面白くても、治療には不要”
だと考えます。
評価は、
治療を変えるために行うものです。
③ 患者さんに説明できる評価か
評価結果は、
患者さんが理解できて初めて医療情報になります。
-
なぜ痛みが出ているのか
-
どこに問題があるのか
-
だからこの治療をするのか
これを説明できない評価は、
治療の信頼性を高めません。
評価・検査の“やりすぎ”が生む落とし穴
評価は大切ですが、
やりすぎることで起きる問題もあります。
●評価が増えるほど、治療開始が遅れる
検査を重ねるほど、
「まだ治療に入れない」
という状態になりがちです。
しかし、
評価は治療を遅らせるためにあるのではありません。
●患者さんの不安を増やすことがある
評価結果を並べすぎると、
-
「そんなに悪いのか」
-
「治らないのではないか」
と、
痛み以上の不安 を生むことがあります。
評価は、
安心につながらなければ意味がありません。
評価は“仮説検証のための道具”である
私にとって評価・検査とは、
仮説を立て、検証するための道具 です。
-
この筋が原因ではないか
-
この神経が関与していないか
-
この動作で痛みが再現するか
評価で仮説を立て、
治療で介入し、
変化が出たかどうかで正しさを確認する。
これが、
私が行っている臨床の基本構造です。
評価結果は“固定してはいけない”
評価は一度行ったら終わり、ではありません。
-
治療後にどう変わったか
-
可動域はどうか
-
痛みの質は変化したか
評価は治療とセットで常に更新されるもの です。
最初の評価に固執すると、
治療の修正ができなくなります。
評価を軽視しない、過信もしない
私は評価・検査を
「絶対視」もしませんし、
「軽視」もしません。
評価は、治療の精度を上げるための補助輪である。
補助輪が目的になってしまえば、
自転車は前に進みません。
結論:評価・検査は“治療を前に進めるため”にある
評価・検査の価値は、
どれだけ治療を前に進めたか
で決まります。
-
治療方針が明確になったか
-
患者さんが納得できたか
-
改善への道筋が見えたか
これが得られない評価は、
私にとって意味を持ちません。
患者さんへ
もし
「検査はたくさんしたけど、何をするか分からない」
「評価は受けたが、治療の説明がない」
と感じたことがあるなら、
それは本来の医療の形ではありません。
市川駅徒歩30秒のわかば鍼灸整骨院市川本院では、
評価・検査は必ず“治療につなげるため”に行います。















